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終わってみると「それほどでもなくね?」って感じでした。

良い意味で。

”H&S(ハッピーアンドスマイル)ADV”ってのは諸事情により”無かったこと”にされていましたが、実際にやってみて思ったのは「そんな叩かれるほどでもなくね?」ってことでサブタイです。

”カルマルカ”という特別な存在をテーマにしていながら、「個別√ではカルマルカに触れないことが多い」ってのがKOTYeへのエントリー理由の一つではありました。
まぁ複数原画家で複数シナリオライターで整合性を・・・ってのは難しいようです。海外ドラマなんかである程度の長期シリーズになるとメインの脚本家、サブの脚本家に加えて出演者が自ら脚本家や監督になって1話つくったりするようですが、やはり素材は同じでも毛色が違うんですよね。微妙に漂う違和感は隠せません。
ただ、「カルマルカ*サークル」に関しては、意図的に「カルマルカに触れないように必要な情報だけを散りばめた展開」を組んでいたようにも感じます。
要は”真エンド”への布石ですね。

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いや、なかなか良かったですよ。特に最終盤での追い込みは王道で定番ではありますが良いものでした。

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物語と全然関係ないところで鳥肌。

傲慢

かつて、高名な学術者がいました。名前は孔子とかなんかそういう偉い人です。
その偉い学者の下に然る身分のある人物が仕事の補佐を出来る有能な者を求めてやってきた。学者は弟子たちを見学させ、当人の納得のいく人材を直接探して貰った。
最終的にA,B、2名の弟子が候補として残った。
偉い人「Aという弟子はどうでしょうか?」
学者 「Aは未だ未熟であり、あなたの仕事を補佐するには少し難しいのではないかと思います」
偉い人「なるほど。では、Bという者はどうでしょうか?」
学者 「Bであれば確かに能力は足りています。ですが・・・」
偉い人「何か問題があるのでしょうか?」
学者 「アレは少々、気位が高いのです。”過ぎたるは及ばざるが如し”。気位が過ぎて傲慢であると言うことは未熟であるのと同じなのです」

なるほど。過信は身を滅ぼす。
かつて、人気漫画がありました。これまでのその物語の主人公の”職業”はインドア派のイメージが強かったですが、その漫画のヒット以降はインドア派のイメージを払拭し、厨二な人たちに新たな可能性を示唆しました。

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「”全”は”一”、”一”は”全”」の”等価交換の原則”をテーマにした物語。「鋼の錬金術師」ですね。
上の図は作中で使われた「人体練成の陣」です。

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そしてこれが「カルマルカ*サークル」の真エンドへの扉。5つのエンディングを見たときの真√解放の時の”魔方陣”です。
なるほど。「鋼の錬金術師」を読めば人の傲慢さが招く業(カルマ)の深さが分かるような気がします。”未熟”さを理解せず、1を知ったことで10を理解した気になった慢心が招く結果は・・・。
ただ、個人的には思うのです。
”慢心”ではなく、本当に”力”のある者は”傲慢”であるべきだと。

ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige[† 1])とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。
oblige は、動詞 obliger の三人称単数現在形で、目的語を伴わない絶対用法である。名詞ではない。英語では、フランス語の綴りをそのまま英語風に読んだり[† 2][† 3]、英訳・名詞化して noble obligation[† 4][† 5] とも言う。
wikiより抜粋。



起源

ファニー・ケンブルが1837年に手紙に「……確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。

倫理的な議論では、特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー」を要約する際にしばしば用いられる。最近では主に富裕者、有名人、権力者が社会の模範となるように振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる。

「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない社会の心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。

法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受けることもある。
同じくwikiより抜粋。

個人的には「東のエデン」で使われた”持てる者の義務”という解釈が好きです。
金銭、地位に限らず、能力、権力を生まれ持った者のみならず、努力により得た者であっても”義務”があると思います。
スポーツ選手は大きな家、高価な車に乗って子供たちに夢を与えなくてはいけない。
ヒーローモノの主演俳優は人前では”正義の味方”として振舞う責任があり、あるアニソンの主題歌の人は”襟のある服”を着る義務があると言っていました。

”傲慢”さは能力ある者の”特権”であり”義務”である。と思います。

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もし、”大罪”に”8個目”を加えるとしたら?

何を選びますか?

みたいな問を見たことがあります。個人的には”正義”か”暴力”ですかね。

一見異なるモノのように見える2つですが本質的に内包しているものは極めて近しいモノだと思います。
まぁ「正義が罪であるか?」に関しては「装甲悪鬼 村正」をやりましょう。

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緩い雰囲気のちょっと楽しい感じのゲームかと思いきや、意外と話の内容自体は重めなんですよね。
ヒロインの魅力によるポップなテンポに救われているってのが良く分かります。
ニコルの体育会系ノリを考えたやつは、正直偉いと思います。

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”ロボ子”系のシナリオって割と好きなんですが、「非自明のヒロイン」というのは文学的ですね。

個人的に”ロボ子”は好きです。

「木漏れ陽のノスタルジーカ」のフロウとシネマは大変宜しかったです。
特にロボ子の魅力というのを挙げるなら、頭脳明晰で普段は利己的、感情の起伏に乏しく(共通√時)あるものの、倫理的で偽善的とも独善的とも言えるようなところか・らのぉー。デレが素晴らしい。なによりもその自覚、感情の発露が良いですね。
フロウさんだと「関わりのある人間を独自の判断基準による加点原点方式で交友関係の見直しを図ろうとしたときに・・・」の辺りはニヤニヤしてしまいました。

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この子はTVドラマ版の「ガリレオ」の湯川教授(福山 雅治氏)のイメージが近いですね。ちなみに好きなシーンは「劇場版 ガリレオ 容疑者Xの献身」のオープニングトーク「愛=Xとするなら・・・」とかですね。
ガリレオこと湯川教授は”物理オタク”でしたがヒロイン 暦先輩は”数学少女”でした。




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「7つの大罪」と「7つの○○」

EDも7つあるんですかね?

あるっぽいですね。某所の攻略サイトを見たら”4ヒロインED”と”サブヒロインED”、そして”ノーヒロイン(ノーマル)ED”、最後に”真ED”。

今は”サブヒロイン”やってます。率直に言うと、声やCGエフェクト含めて「なんか妙にAXLさんっぽい!」って感じです。



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なんか妙に表情のエフェクトがそれっぽいんですよねー。
あと、妙と言えば立ち絵のバリエーションってメーカー毎に作り方って違うんでしょうかね?この「カルマルカ * サークル」でこの夕姫羽先輩の”髪飾り”は時々、作りこみの細かい揚羽蝶のデザインになります。きっと”猫耳”みたいなオプション的なモノなんでしょうが、キャラの輪郭を変える付属品だとしっくりくるんでしょうが、キャラの輪郭を変えない付属品だと変な新鮮味がありました。

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