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Pay It Forward(原題)

「ペイ・フォワード 可能の王国」という本があります。同名の映画の原作に当たる物語です。

ネバダ州ラスベガスに住む、アルコール依存症の母と家庭内暴力の末に蒸発してしまった父との間の子、トレバー少年が学校の社会科の授業で出された「世界を良い方に変えるにはどうすれば良いか?」という問いかけに対して

「自分が受けた善意や思いやりを与えてくれた相手以外の3人に返していく」

と答えた。

この映画は「ペイ・フォワード」を考えたトレバー少年がソレを実践し、証明を試みる。しかし、思うようにいかず諦めようとしていた時、少年のあずかり知らぬ所で「ペイ・フォワード」の波は広がっていき・・・って話なんですが、人から”悪意”を受けたらそれはどこに伝えたらいいんですかね?




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世界を良い方へ変える。それは凄く難しいことなのに、世界を悪い方へ変えるのはとても容易く感じるのはなんでなんでしょうね?

「ペイ・フォワード」理論のように「誰かに悪意をぶつけられたら、他の全く関係ない3人に受けた分の悪意をぶつけてやれば良い」。
なんとなく、そんなことをしたら、実現したら、2週間くらいで核ミサイルがどこかの国に落ちそうな気がします。

幼少期のそまりは・・・明言されてませんが恐らくは”中等部”以下の時期に暴行を”受けていました”。

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「受けた」という”一過性”的な言い方ではなく「受けていた」という”継続的”な言い回しで察せられる通り、1度ではないです。

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団子虫の入った団子を口に捻じ込まれ、羞恥的な行為を強要されて、親友にまで目撃され、そして親友は逃げ、疎遠になった。
親友が恐怖を感じたことも、脅しに屈して口を閉ざしたのも、そまりと関わることで自分にも被害があるかも知れないと思ったことも責められなかった。そういう気持ちがどこかにあった。

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でも、それと「虐げられる正当性」は結びつかないし、復讐できるというわけでもなく、そまりも歪んでいった。

人は結構、自分よりも弱いモノへの”生殺与奪”とまでいかなくてもソレに近しいような権利を知らずに持ち合わせ、その上で”ソレを行使しないという選択”をしているように思います。
でも、仮にその”取捨選択”をより攻撃的に隙あらば”破壊的な衝動のまま選択”するような人間が居たとしたら?

そんなそまり√、結構現在で言うとこの”いじめ問題”の根の深そうなトコに手が届いていたような・・・?
残念なのはオチがインパクト重視で物語としては”無理矢理打ち切った”感がある感じですね。
実際、自身を使った献身的な愛の枢√は最上の性行為=即死ってことで〆られる。苦痛に身を投じることで贖えることに悦びを見出す華愛美√も最終的には・・・って感じなんですけど、そまり√はホントにもう少しどうにかならなかったんだろうか・・・?とどうしても思ってしまいます。


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