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何かを求めるにあたり、支払うべき代価。

その支払うべき代価、背負うべきモノが”等価”であるかどうかは約束されているわけではないと。そう思う時があります。

普通に生活していても、”代価を支払って何かを得る”の一般的な形である”買い物”なんかでもそういう事は度々あると思います。
その価格が適正か?その品質は適正か?そんな感じだと思います。

”恋”の価値もそれぞれの基準で”得られるモノの大きさ”が異なると思い、異なることで”求められる代価”や”背負うべきリスク”に対しての見解は人の数ほどあると思います。





・・・とまぁ、ちょっと重々しい?感じで始めましたが、自分的に「名作を超えた先」までいくようなゲーム(物語)には一つの基準があったりします。そういう感じの前振りってことで。

大きな基準として「自分にその決断が出来るか?」というのがあります。これは”ヒロイン”や”原画家”、”声優”及ばない”シナリオライター”に拠る所に重きを置いた基準です。
もっとぶっちゃけると、「主人公」の一点が特に重要視されていると言ってしまっても良いと思います。

まぁ分かりやすく例えを挙げるなら「cross † channel」が自分にとって最初のそういうゲームでした。

隔離された”1週間だけの世界”。その中を永遠にループし続ける。そんな中で社会に適応出来なかった人間が集められた学校の生徒7名の物語。
主人公の”黒須 太一”はその事実を知って、同じく取り残された仲間の”社会との折り合いが付かなかった部分”を改善するよう示唆して、その兆しが見えた時に”元居た世界”に送り返していく。

”送り返す”そうすることが”正しい”。それは分かるが”送り返す者”を”元の世界”へ送ってくれる者が居ない場合、それをすることが”正しい”としても”出来るかどうか?”ということを考えてしまう。

延々と。

”正しい”としても”自分だけが孤独に取り残されてしまう結末”が先にあるとしたら、果たして自分がその立場であった時にそれが出来るかどうか・・・。

そういった考えに至るかどうか?が自分にとって”良作”や”名作”を超えて印象深いものになる”基準”です。

「僕が天使になった理由」もそう思う、思わされる作品でした。

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巴が恋を否定する理由。アイネはその事を考えるようになる。
”恋する人”を応援し、”運命の赤い糸”を以て”人の幸せを願う天使”としては当然の疑問だったけれど、それだけではない”想い”もあった。

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幼き日の哀しい失恋。恋愛を極端に忌避しようとする巴。
そして、アイネがいつからか持っていた”誰かの大きな心の欠片”

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それだけなら普通・・・だったんですけどね。
奈木崎 奈留子√の時にも出てきていた”赤い糸をギターに奪われた恋人たちの末路”や”黒い天使の翼が黒い理由”そして”最後に返すべき欠片”。

ぶっちゃけ、重かったです。

”恋”や”想いが報われること”の素晴らしさってのは分かるつもりです。それでも”それだけ素晴らしいもの”を得られるとしても、最後に待つ結末を事前に知り得るなら「自分がその立場であった時に決断出来るか?」そう問われたら・・・難しいです。

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ただ、アイネはとても健気で好かったです。

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とてもとても。それだけに物語が佳境に差し掛かった時の重さはちょっと耐えがたいものでしたが。(´・ω・`)



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”赤い糸の秘密”を知り、天使としての仕事が出来なくなってしまったアイネ。
自身の存在が”幸福”を誰かに与えると共に誰から”幸福”を奪って”不幸”を与えることを知ってしまったアイネ。
それでも、”一人のため”に”自身を含めた全て”を省みることなく歌うことを選んだアイネ。

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天使が与えていたのは”赤い糸”だけじゃなかった。

”赤い糸”を奪われてしまったカップルは”不幸”ではあったけど、その誰もが”幸せになろうとすること”は諦めてなかった。

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だから巴は”戻った心の欠片”と共にもう一度”信じる心”を取り戻し・・・。


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終わった時、ホントに脱力感がすごかったです。

遣る瀬無かったです。

”どんな代価を払ってでも”と求めたモノがもたらした結末、その収まりの悪さが本当に。



・・・でも、結末を知らなければやはり”どんな代価を払ってでも”と思ってしまうんだろうなぁ。




・・・とまぁこんな感じで、ちょっと詩的にそれっぽくも黒歴史確定しそうなノリだけで書いてしまいました。

一応、客観的に見れば「僕が天使になった理由」は現状では”名作&良作”を超えたモノとして感じています。
それでも不満はあるし納得し切れていない部分もあります。
ただ、納得や満足を得られてしまうような(後日談収録)ファンディスクが出る場合は、多分”名作&良作”に座りがいいモノになってしまうんだろうなぁ・・・と。

未完成であったり、描かれていない部分があるからこその”感想”ってのはダメなものばかりではないんですよね。
確か”エルミタージュ美術館”にあるダヴィンチの風景画にも未完のモノがありますが、それも未完であればこその好さがあるとされていますし。
比較対象が”ダヴィンチ”ってのがちょっと大きすぎますねwww

それでは次回は「女装山脈」の方で。(仮)

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