2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「主人公は僕だった」

そういうタイトルの映画があります。

どっかで見たようなゲームのような設定があるコメディの映画なんですが、主人公はある日、自分の私生活の行動一つ一つに「天からの声」のようなナレーションがついてることを自覚する。
それを書き溜めたモノを文章の専門家に見せて相談したところ、「傑作になりうるが駄作にもなりうる文芸作品だ」と評する。
それは「主人公の悲劇の結末があれば「後世に残る名作」となり、主人公がハッピーエンドを迎えれば「駄作な喜劇」になってしまう」というもの。
主人公はその物語を書いている著者を探し出し、結末をハッピーエンドにして欲しい。死にたくない想いを伝えた。しかし著者は近年パッとしない文豪で、自身が今書いている物語が名作の予感があることは感じていた。その一方で自身の書く物語が主人公の人生にリンクしている事も理解し、人命か名作かの選択に悩む。

そういうメタ要素のある映画です。



「SWAN SONG」はBAD ENDを除くと通常のエンディングと通常ED後に開放される「もう一つのED」の2つがありますが、その格差が「主人公は僕だった」のそれと同じくらいの差があるように感じます。

多くの人の目に付くようなレビューサイトでは「ノーマルEDこそが真ED」とか「もう一つのEDはご都合主義過ぎる」などの「真EDへの否定的な意見」も目立つ一方で、「ノーマルED」は心に深く虚無感のようなものを残してしまうので、ご都合主義に彩られた「救済」もあっても良いような意見も多くあります。

要するに「賛否両論」ってヤツですね。

個人的には「ノーマルED」だけを見ると、本当にしばらく何もしたくなくなるほど虚無感に悩まされます。そして余りにも残酷です。

一方、「もう一つのED」は多くの人が救われる・・・という感がありました。作中に出てくる多くの人に笑顔があって、ノーマルED後に見ると緩急の激しさに戸惑う人が居るのも頷けてしまうほど。


2013y09m26d_233838500_convert_20130929105300.jpg

本当は、もう一つ。ノーマルと真の真ん中くらいのEDがあればバランスが取れたんだろうなって思う部分もあります。

それこそご都合主義なのかも知れませんが、ライターのシナリオと製作サイドの演出が余りにも鬼気迫る内容であったために返ってEDにその緩急の皺寄せがあったんでしょうね。



最後に。



押しも押されもしない名作の一角「SWAN SONG」ですが、余りにも内容がヘヴィなので心が強い人には出来るだけプレイして欲しいです。

*心が弱い人はちょっと・・・かなりキツいと思います。マジで。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

D@ruma

Author:D@ruma
達磨のだるだるブログへお越しいただきありがとうございます。

「達磨の」と謳ってはいますが表記上は「D@ruma」でお願いします。
パッとしないブログではありますが、時々でも訪問いただければ嬉しいです。


気が向いたら「拍手」などお願いします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
来訪者数
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR